須藤元気『幸福論』を読んで色々考えた話、と今岡山に来ました

皆さんお疲れ様です、キックボクサーのハチマキです。

 

先日古本屋で買ったと

 

 

こちらのブログで書いた

 

幸福論

幸福論

 

 

これの文庫版。を読み終えました。

 

以下、読んで気になった部分をいくつか。 

 

迷ったときは動かない。

これは人生の別れ道のときでも同じことが言える。その道の先輩たちに助言をもらった方がよい。その人たちはいろいろな経験をしたうえで今があるので的確なアドバイスをしてくれる。

そして本当に成功した人は自分のテクニックやスキルを喜んで教えてくれる。

 

これは現在の自分の状況に当てはまり、色々人に会って話を聞いてみたりしているので間違ってはなかったのかなあと少し嬉しく思いました。 

 

あとは、他流試合に臨む時の坂本龍馬の言葉の引用があったので、その引用。

 

「剣術なんて、勝っても愚劣、負けても愚劣。こんなものに百年明け暮れても世も国も善くはならない」

この頃の須藤元気さんは『格闘家として試合をすることの意味』について悩んでいるように見受けられました。 

 

僕の考えとして…

 

誰も観ていないところで戦えばそうかもしれませんが、プロとして人前で試合をするということは良くも悪くも、多かれ少なかれ人に影響を与えると思います。

 

だから格闘技の試合をすることが直接的に人の役に立つものではないとしても、僕は意味がないとはまったく思いません。

 

自分も格闘技をファンとして観ていて憧れが生まれ、自分が選手になってからはライブに行っていつも力を貰ってきました。

 

そういう今まで自分が貰ってきたものを、試合をすることで周りに還元したいと今までずっとやってきましたが、まだ全然できてないと思うんですよね。10もらったうちの1も返せてない気がする。

 

ですがその上で、『他者への還元』ということを考えるなら別にその方法は格闘技に限った話じゃないし、別のことでできるならそれで良いよなあとも思います。

 

そしてあとがきに書かれていたこと(これは文庫版用のものだと思います)

 

そこだけでも色々考えさせられました。

 

2006年12月31日、僕は格闘技を引退した。

引退を表明したその瞬間、なぜ引退なのかという疑問の声が脳裏になだれ込んできた。だか、僕の心の中の声は確信をもって囁いた。

「そろそろ次の人生ストーリーを始める頃だ」

 

格闘技をまだやりたい気持ちはありつつも、辞めて新しいことを始めることを考えると

 

まだ何も決めてないにも関わらず上手くいくという根拠のない自信だけはあって、それはそれで考えると楽しくなってしまいます。

 

どうなるんでしょう?

昔っから優柔不断なんだよ!w

 

でも逆にこれだと決めるときはスパッと決めてきた気もするのでそんな日が来るかも。

 

 

そして先ほど


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母方の実家に行くために岡山空港に降り立ちました。

 

お遍路ではないですが、思いつきで岡山空港から岡山駅まで歩くことにしました。15kmぐらいらしい。

 

 


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何にもないです。

 

僕も道中ありがとうって唱え続けてみようかなと思います。

 

 

以上ですっ!

 

 

終わり